有限会社中川石材店 -室蘭市-
◆明治期に初代が山形で始めた石材業ひと筋の職人魂

丁寧な仕事が評判の利光さん
室蘭市のJR東室蘭駅に近い国道37号そばの住宅街にある加工工場併設の石材店。現・代表取締役の中川利光さん(昭和14年生まれ)は、創業者から数えて3代目というオーナー職人である。
初代は中川利之助さん(明治12年生まれ)。山形県東村山郡天童町(現・天童市)で始めた石材業がこの店の始まりだそう。手先が器用だった利之助さんは鑿と石刀と鎚で巧みに石を彫り、石積みを行うその技術が評判を呼び、いつしか小規模だが店舗を構えるまでになった。
そして、利之助さんの技術を引き継いだ長男の理一郎さん(明治40年生まれ)は2代目となる。石材業は小規模だったものの、1914(大正3)年に勃発した第一次世界大戦による軍需景気もあって順調に推移したかにみえた。だが、1929(昭和4)年にニューヨークのウォール街での株価大暴落に端を発した世界大恐慌は、理一郎さんの仕事にも少なからず打撃を与えたのである。理一郎さんは一大決心をして1935(昭和10年)に単身、北海道へ渡り、さまざまな苦労に遭遇しながらも、石工職人としての腕を見込まれ、日鋼室蘭(日本製鋼所室蘭製作所)に勤務する。当時その会社では仕事のできる順に給料の手渡しが行われ、理一郎さんは常に一番手で給料を受け取っていたという。戦地に赴くことがなかった理一郎さんは、第二次大戦後の1945(昭和20)年から1964(昭和39)年まで、室蘭市内の石材店に勤務する。そして1965(昭和40)年に独立、現在地で店舗を構え、中川石材店を開業した。
理一郎さんが開いた中川石材店は、墓石関連の石材加工に留まらず、間知石材など石積みを中心とした幅広い分野の石材加工や石工事も行った。また、室蘭市営の望洋台霊園が1970(昭和45)年に開園したこともあってとくに夏場は多忙となるため、冬場に墓石などの見込み生産を行うなど通年工場がフル稼働という状態がしばらくの間、続いたという。
その理一郎さんが亡くなった1986(昭和61)年、長男である利光さんが3代目を継ぐ。同時に店を法人化し、その代表取締役となった。
◆売上№1よりお客様満足度№1を追求

3代目で、現オーナーの利光さんも、初代からの技能を引き継ぐ典型的な職人気質の持ち主。中国を中心とした海外からの製品輸入が主流となってからも、利光さんは2004(平成16)年ころまで、自社での原石加工にこだわったという。
それだけに、いまだに製図台を使って設計図を書いている。もちろん、最近ではその図面をもとに、専門スタッフがコンピューターを使ってさらに精緻な図面に仕上げているが、細部にまでおよぶ気配りや、頑固なまでの職人気質は以前と少しも変わっていない。
1989(平成元)年からは長男の一彦さんが加わり、現在は専務取締役として利光さんの右腕的存在に成長した。現在は、現場など主に外回りは一彦さんが取り仕切り、字彫りや新規客の対応など内部業務を利光さんが務めるというように役割分担されている。もちろん、ひと通りの業務は利光さんから一彦さんへ伝授されている。「最近は4代目としての自覚がとくに感じられるようになってきた」と利光さんは目を細めながら嬉しそうに話してくれた。
これまで営業らしい営業はせず、古くからの顧客による口コミで新たな客を獲得してきた中川石材店だが、今後はそれだけでは立ち行かなくなってきているのも事実。営業の必要性を感じつつ、それでも売上至上主義に陥ることなく「お客様満足度№1」を追求する姿勢は一彦さんも変わらない。

謙虚で明るい一彦さん
一彦さんが「墓石周辺の事業に携わるお墓のことをよく知っている方々から『墓石を建ててほしい』と依頼がよくきます。
そんなときなどは、ちょっと自分の会社が誇らしく思えます」と笑顔で語ってくれた。新規の依頼で霊園に行ったときなど、自社が携わった既存墓石の字彫り部分の墨が剥げかかっているのを見つけたら、さりげなく墨入れして補修してあげるなど、そんな心遣いがうれしい石材店である。
(取材・執筆 本多)
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◆中川石材店 会社データ 【本店事務所・工場】 |
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