株式会社渡辺石材工業 -江別市-
◆初代は福島県の農家生まれで5男坊だった
渡辺石材工業は江別市内牧場町の「市営江別やすらぎ苑」入り口に大きな展示場を持っており、同社を訪れる顧客は、冬場を除き、まずはこの展示場に案内される。工場を併設した本社は、国道12号の高砂町交差点から5丁目通りを江別西郵便局方面へ少し入った左手住宅街の一角に建つ。

江別やすらぎ苑近くの展示場
創業は1968(昭和43)年。現在は同社の会長を務める渡辺庄八(しょうや)さんが、江別市緑町で石材業を営んだのが、この会社の始まりだ。
庄八さんは福島県の安達町出身。生家は田畑中心の農家で、1945(昭和20)年2月、9人兄弟姉妹の8番目、5男として生まれた。中学を卒業後、1960(昭和35)年、札幌市内の石材店で職人を務める4男の庄七さんを頼って渡道。庄七さんに弟子入りし、加工や施工のイロハを学んだことが、この業界に携わるきっかけとなった。
その後、さらなる加工技術の習得をめざし、国内有数の石材加工業集積地である茨城県岩瀬町羽黒(現・桜川市羽黒)の石材店に勤務する3男の庄三さんや義兄の石井利雄さんが経営する石材店で修業を積んだ後、1963(昭和38)年に岩見沢市内で開業した庄七さんの石材店に再び勤め、職人として研鑽の傍ら、石材店経営についても学んだ。
そして、1968(昭和43)年12月、庄八さんは念願の自分の店を、江別市緑町の八葉峰寺(やちようぶじ)の境内で開き、翌年6月には現在の本社がある高砂町へ移転した。
◆顧客のため、その次世代のため、常に新しい施工法を追究
庄八さんは、開業時から、接客、加工、取り付けまでなんでもこなすオーナー職人だった。そして地元の江別を中心に、墓石をはじめとする様々な石材加工事業を展開。その職人気質を全面に押し出した懇切丁寧な仕事振りにより、徐々に顧客から確かな信頼を得ていった。
1982(昭和57)年には、本社に併設して工場を新設。1989(平成元)年には牧場町に顧客との打ち合わせもできる事務所を持つ墓石展示場を新設、同時に有限会社渡辺石材工業として会社を法人化し、代表取締役に就任したのである。

人柄が良く業界のファンも多い孝治さん
そうした初代の仕事振りは、長男の孝治さん、次男の英治さんたちにしっかりと引き継がれていく。短大を卒業した孝治さんは、すぐに庄八さんの右腕として手腕を発揮するようになる。
そして2007(平成19)年4月に株式会社へと組織を改組した際、孝治さんは2代目を継いで代表取締役に就任した。庄八さんは会長職に専念し、社業を孝治さんへ全面的に任せることになったのである。次男の英治さんは、短大を卒業後に道内の総合建設会社へ入社、2004(平成16)年まで土木施工管理の専門家として勤務の後、渡辺石材工業へ入社。孝治さんが株式会社となった同社の代表取締役に就任した際、専務取締役となった。
渡辺石材工業は、機能やデザインおよび基礎の工法を追及した「渡辺式」なる墓石シリーズを開発した。これは女性がひとりでも簡単に納骨できるなどの機能を備えているほか、地盤沈下が発生しやすい泥炭地にある墓地対策として杭打ち工事を行った上で基礎工事を行う丁寧な施工が標準で含まれるセットもある。この施工は1級土木施工管理技士の資格を持つ専務の英治さんが主に担当し、接客ならびに加工等は主に1級石材施工技能士の資格を持つ代表の孝治さんが担当する。だが、現在の顧客のみならず、その次の世代まで考えたお墓づくりへの探求に担当分けはない。

杭打ち工法。手間はかかるが丈夫な基礎ができる。
ところで、現役を退いた庄八さんは、津軽三味線をはじめ尺八、笛、太鼓、唄に至るまでの名手でもある。雅号「渡辺八章」の名でプロの演奏集団「渡辺社中」を結成し、現在、江別や札幌を中心に活動している。趣味が高じてプロに。そんなこだわりの精神が、孝治さんや英治さんにも脈々と受け継がれているのだ。
(取材・執筆 本多)
|
◆渡辺石材工業 会社データ 【展示場】所在地:〒067-0005 江別市牧場町9-22 【本社・工場】所在地:〒067-0074 江別市高砂町2-20 【共通案内】 |
あわせて読みたい関連記事
タグ: いい店, 江別