有限会社山本博昭石材店 -札幌市-
◆初代は根っからの石工

福住桑園通り沿いにある本社
札幌市街の南、藻岩下を走る福住桑園通沿い、北海道循環器病院の向かいに本社事務所を構える1928(昭和3)年創業の老舗石材店。
創業者の山本昌司(しょうじ)さん(明治32年生まれ)は、10代のころより札幌の南4条にある石材店に入り、石工として修業。北海道神宮の石工事などをしていたという。1928(昭和3)年、29歳の時、独立して山鼻地区(現・中央区南17条西9丁目817)で山本石材という名の石材店を開業した。自宅の土間が加工の仕事場。当時は墓石も含め原石は札幌軟石が中心で、山鼻地区にあった北海道学芸大学札幌分校(現・北海道教育大学札幌校)の石工事を手がけるなど経営は順調に推移していった。
初代の昌司さんは、当初は長男の舜造(しゅんぞう)さんに店を継がせるつもりでいた。だが、第二次大戦で舜造さんは海軍に志願し、戦地で死亡する。次男の博昭(ひろあき)さん(昭和5年生まれ)は、当初は家業を継ぐ予定ではなかったことから月寒の八紘学園畜産科へ入学。そして1945(昭和20年)に卒業後、1期先輩が勤務するGHQ(進駐軍)札幌司令部に入り、軍馬の世話をしていた。だが、長男の舜造さんが亡くなったことにより、次男の博昭さんが家業を継ぐことになり、1948(昭和23)年、GHQ勤務を辞めて家業を手伝うことになった。思わぬことで石材業に従事することになった博昭さんだが、子どものころから父の仕事ぶりを見ており、手ほどきこそ受けたものの、石工としての修業にそう時間はかからなかったという。
◆「ヤマヒロ」の愛称で親しまれる、信頼の厚い石材店
その初代が1972(昭和47)年に73歳で亡くなり、博昭さんが正式に2代目となる。
博昭さんは、2代目を継ぐと同時に店を法人化し、商号を「有限会社山本博昭石材店」にした。これは当時、市内に同名の「山本石材」という石材店があったためである。同様の事情から自分の名を商号に組み入れた店があったことが、そのヒントになった。この商号により山本博昭石材店は、顧客から親しみを込めて「ヤマヒロさん」と呼ばれるようになった。またこの年、北32条に工場を新設している。
山鼻地区で親しまれ、信頼されて経営を続けてきたが、手狭になったため1974(昭和49)年に現在の藻岩下へ移転、本社・事務所を新設した。さらに1982(昭和57)年には琴似発寒川と新川との合流部に近い八軒に新工場を建てている。
博昭さんの長男である信夫さんは高校卒業後、すぐに博昭さんのもとで3代目として石材業の技能を学び、その後、20歳の時から10年ほど市内の別の石材店に勤務。営業活動を主に行い、その重要性を学んだ。その後、博昭さんのもとへ戻り、専務取締役としてその手腕を発揮する。

「お客様との本当のおつきあいは建立後から始まる」 と熱く語る信夫さん
山鼻時代から地区の消防団長、その後は中央区本部の団長として50年以上にわたって地域の消防活動に尽力してきた博昭さんは、2005(平成17)年の春の叙勲でその功績により瑞宝単光章を授与される。叙勲により、さらに消防団長の活動が多忙となり、現在、博昭さんは信夫さんに社業を全面的に任せている。「早く3代目として代表を継いでほしい」と語る博昭さん。
CGで精密図面や完成予想図である立体画像まで仕上げる信夫さんは、まさにマルチプレイヤー。その信夫さんから、この店の驚くべきエピソードを聞いた。
それは、ある顧客からの墓石建立に関する1件の依頼から始まった。いつものように信夫さんはその客に懇切丁寧な説明をし、現地霊園へ案内して既設の墓石をいろいろと見せて歩いた。これを繰り返すうちに話がどんどんふくらみ、その顧客は兄弟・親戚の分を合わせて、なんと12件もの墓石を同時に依頼、建立したというのだ。これなど、店や信夫さんへの信頼なくしてはありえない、だが嘘のような本当の話である。原石からの自社加工もできることから、他店からの仕事の依頼も多い。正式に3代目を継ぐ日はもう目前だ。
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◆山本博昭石材店 会社データ 【本社・事務所】 【八軒工場】 【共通案内】 |
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